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白井大工のあらまし

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白井大工のあらまし

宮大工の歴史と井波拝領地大工10人衆 宮大工の歴史と
井波拝領地大工10人衆

6世紀に推古天皇が大陸を渡ってきた僧侶に飛鳥寺を建立させたことが、日本での宮大工の始まりといわれています。
大陸を伝って建築の技術が伝来した瞬間ともいえます。
以来その技術が師匠から弟子へ千年もの長きにわたり試行錯誤を重ね伝えられてゆきました。

白井大工の源流は井波拝領地大工10人衆 白井大工の源流は
井波拝領地大工10人衆

白井大工の源流は井波拝領地大工10人衆

 白井大工の創業は昭和46年でございますが、先代白井宏は昭和33年、井波の故五代目東城清八師匠に弟子入りし、宮大工としての心・技を教わりました。

東城清八師匠は、井波拝領地大工10人衆の末裔に当たる方で、代々宮大工の心と技を受け継いでこられた家系でございます。

 井波拝領地大工10人衆とは安土桃山時代に、加賀藩二代藩主の前田利長公が、豊臣秀吉公晩年の居城伏見城造営等に功績のあった大工衆十人に、井波に屋敷と土地を与えたことが始まりとされる当時の精鋭大工衆です。
井波に移り住んだ後も、加賀藩のさまざまな社寺仏閣建立に力を発揮したといわれています。

 10人衆の中には、城端の街を文字通り造り上げていった者、井波瑞泉寺再建に際し、京都へ出向き彫刻の技術を学び井波彫刻の祖となった者もおります。

先代白井宏は、こうした400年もの歴史ある宮大工のもとで厳しい修行にはげみました。

感謝と礼を学び知る 感謝と礼を学び知る

感謝と礼を学び知る

 先代白井宏の修行時代は、「厳格」の一言であったそうです。
桃栗三年といいますが、最初は炊事、掃除から始め、性根が伴っていなければ強く叱られたそうです。現代では一見不合理に見えることですが、何事も手を抜くことを覚えた瞬間から三流でございます。
一流の仕事を行うためには、技よりも先に楽に負けない「心」を身につけることが肝要で、最初にそのことを教えてくださったことに感謝していると言います。

 仕事をさせていただくようになってから宮大工の仕事は、先人たちの木に立ち向かう思い、ご依頼主様の思い、ひいては自身を育てていただいた方々の思い、そういった人の思いの中で仕事をさせていただいていることを学び知り、神仏に一礼をするとはどういうことなのかを悟ったと言います。

 私どもは、毎朝施工現場や事務所で、一礼と元気な挨拶を欠かしませんがそれは、先代や先人から伝授いただいた心と技におごることなく、後世へ伝えるための尊い儀礼なのであると自負いたしております。

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宮大工の歴史と井波大工十人衆
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